カフェ・デ・タクバ(cafe de Tacuba)を出てから
東のメトロポリタン・カテドラルの方へ歩いていった。
この大聖堂は1573年着工から
1818年の完成に至るまで245年の歳月がかかった。
メキシコにおけるカトリック教会の総本山とも呼ぶべきものだ。

スペイン人の建築はサグラダ・ファミリアもそうだが、
(こちらは当初300年計画だが144年まで短縮すると発表。
拝観料収入の増とコンピューター技術の向上等で
2026年竣工予定、ガウディ没後100年を狙っている。)
随分と歳月をかけるものだなと思った。
2×4(ツーバイフォー)工法で
最短1ヶ月程度でできてしまう現代住居も逆にすごい。

真正面にはソカロ(中央広場)がありメキシコの国旗がたなびいていた。

実はこの場所はもともとアステカの神殿があった。
メキシコシティの前身はアステカ帝国の首都テノチティトランだった。
テノチティトランはテスココ湖に浮かぶ水上都市であったが
その湖はスペイン人によって埋め立てられてしまっている。
(舌を噛みそうになる湖だ。)
だからメキシコシティは地盤が弱い。
しかも地震が発生する地域なので、
1985年の地震の際には
震源地から300kmも離れていたにもかかわらず
液状化現象が起こった。
1519年11月8日にスペイン人のコルテス
(ユーロ発行前、最後の1000ペセタの人。
1ペセタ=1.4円くらいだった)
がこの地を訪れた当時は30万人都市で、
当時のパリやコンスタンティノープル(今のイスタンブール)と
同規模だったそうだ。
当時のヴェネツィアやコンスタンティノープルといった
都市を訪れたことのあるスペイン人は皆、
最も素晴らしい都市と証言している。
秩序だった水の都で、インフラが整っており、
すべての場所に徒歩でもカヌーでも行けるようになされていた。

アステカ人たちは信託を重視しており、
このような湖に都市を作ること自体が
非合理なのにそれを築いたのも、
ウィツィロポチトリ(太陽神)の信託によるものだった。
蛇を咥えた鷲がサボテンにとまっている地である
という予言があり
テスココ湖の湿地に覆われた島をその地だとみなし、
途方も無い干拓工事の結果、1325年に建設された。
現在のメキシコの国旗中心部に描かれている鷲こそが
その神話を元に作られた意匠である。
700年ほど前の時代の掲示が
国旗のデザインに使われているなんて
メキシコ人じゃなくても胸が熱くなる思いがした。