墨と玖#20 メキシコのサクラ


メトロポリタン・カテドラルを後にすると
すぐ東の路地を進み、少し周辺を散歩することにした。
ソカロの東側には国立宮殿がある。

国立宮殿

もともとはアステカ王モクテスマ2世の居城があった場所だが、
ここもご多分に漏れず破壊され、
植民地の拠点として建造されたのがこの国立宮殿だったりする。
ここのすぐ北にテンプロ・マヨール
(テノチティトランの中央神殿)がある。
その路地を東に向かって見ることにした。

カップルが大胆なキスをしていた。
この国に来てからは空港で、地下鉄で、広場でとどこでも観られるし、
特に誰も気にもとめていないのでやはり普通らしい。

仲睦まじいカップルの光景はよく見る

仲睦まじいことは良いことだと思う。
日本でも手をつないで歩いているカップル、
特に老夫婦を見ると素晴らしいと思う。

レンタサイクル

路地裏には、レンタサイクルがずらりと並び結構充実していた。

ちょっと雑多な雰囲気が面白そうだったので
奥へと進むことにした。
ちょっとした焦点が並んでいたり、
遠くにドーム型の屋根の教会が見えた。

ちょうど壁にグラフィティが集中して描かれている場所があり、
歩きながら様々な絵を観られて楽しかった。

日が暮れる前に戻ろうとぐるりとテンプロ・マヨールを周り、
またソカロに戻ってきた。

テンプロ・マヨール

2月下旬から3月上旬の期間はメキシコが紫の花で覆われる。
さながら日本の桜のようではあるが、
あまり現地の人々は関心を示さないようで、
花見なんてこともしないようだ。
しかしこの花には日本とメキシコをつなぐ素敵な歴史がある。
ワシントンにある桜は日本が寄贈したことで有名だが、
時のメキシコ大統領
パスクワル・オルティス・ルビオ氏(任期1930年―1932年)
も両国の友好の証として、
日本政府に桜の木を主要な大通りに植えられないかと要請をした。
世界恐慌の時期であり日本はちょうど昭和モダン真っ只中の頃だ。
日本の外務省は既にメキシコに移住していた
庭師の松本辰五郎氏に桜が実際に
メキシコの地に適応するかを相談した。
しかし彼はメキシコの環境では
桜が花を咲かすのが困難だという判断の元、
代わりにブラジル原産のハカランダ
(ジャカランダ)を植えることを提案。
結果その提案はうまくいき
今日では四季の変化のないメキシコでも
3月頃には色こそ違えど、
紫色の”サクラ”をあちらこちらで観られるようになり、
移民した当時の日本人の努力の賜であり、
今でも日本人が見れば予備知識無しでもサクラのようだと、
どこか哀愁というか望郷を感じることだろう。
日本人とメキシコをつないだパイオニア、
江戸時代に生まれ、
明治22年(1889年)に初めてメキシコを訪れた
この松本辰五郎氏に敬意を評したい。
ちなみに彼はメキシコで最も成功した日本人であり、
マツモトの名はメキシコでいちばん有名な日本人姓である。

メキシコ版の桜、ハカランダ



左利き(酒飲み)で旅好きなアラサー男子。 猫好きのバイク乗り。 カワウ速報の由来はカワウソに似ている、 ということをきっかけにカワウソ推しになったからと、 単純にダジャレを使いたかったから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Scroll to top
Translate »